続・雑誌的人間

佐山一郎blog

カテゴリ:リーディング・ブックス > 書評再録

リーディング・ブックス ~書評再録(7)~

『ボギー・マン』
ジョージ・プリントン著 永井淳訳 東京書籍 1,650円
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ゴルフの本質に迫るための実参戦。
プリンプトンの「古典」に見るハンディ「18」。

 ガラパゴス化が携帯電話の世界でしばしばいわれてきたが、どうも日本のスポーツ・ライティングにも似たようなところがあるようだ。スポーツ・レポーターはあまたいても、今や書くものの多くは子どもの作文である。その競技ならではの本質や特異性、さらには競技者の精神構造までもを見通す作品は減りこそすれ、増えている気配はない。ベストセラーは大体がスポーツ界の有名人を立てたもので、その多くが構成者の力を借りた語りの文章化(代筆)による。

 日本の'80年代は景気が良かったこともあり、目をもっと外に向けていたように思う。文化が市場にへつらわない時代だった。『ナンバー』誌は、アメリカの『スポーツ・イラストレイティッド』誌と提携を結んでいたし、'88年には東京書籍から「シリーズ・ザ・スポーツノンフイクション」(片岡義男&小林信也編集)が刊行されている。

 4年半の歳月をかけて完結したそのスポーツ文学叢書にあっては、全15巻中の3冊がゴルフを題材にしたもので、今回とりあげる『ボギー・マン』は7巻目。ほかにもフランク・ベアードの『プロ』とクリスティらによるゴルフ・ミステリー傑作選『バンカーから死体が』が、いずれも小鷹信光(こだか・のぶみつ/1936-)の訳で刊行された。

 前者のフレコミは、《私はニクラウスでも、パーマーでもない、ただの一プロゴルファーだ。──平凡なゴルファーがついに賞金王になるまでの一年をつづった感動の日記》。後者は《ゴルフはウェイ・オブ・ライフだ!  魔のスポーツ、ゴルフに魅せられた男たちが巻きおこす事件の数々》とあって感慨深い。

『ボギー・マン』のフレコミはと言えば、《人気スポーツライターのプリンプトンがプロのゲームに紛れ込んだ! 七転八倒,抱腹絶倒の快作》。えっ、そりゃちょっとほめ過ぎじゃないのと思うものの、玄人受けという点でも申し分がなく、影響を受けたノンフィクション作家や編集者が少なくなかった。ジョージ・プリンプトン(1927.3.18-2003.9.25)は日本で人気を得られず残念だったが、その存在は依然として大きい。

 生粋のニューヨーカー、プリンプトンによる『ボギー・マン』(原題“THE BOGEY MAN”)のアメリカでの刊行は著者40歳の年、1967年。文芸編集者、CM出演、映画俳優となんでもござれのエリート作家として彼が人気絶頂の頃だった。前年刊行された『紙のライオン』で長身194センチのプリンプトンは実際にプロ・アメリカンフットボール・リーグのデトロイト・ライオンズに参加し、バックアツプのクオーターバックとしての実体験を綴っている。

 続く『ボギー・マン』においても同じ“パーティスペイト・ジャーナリズム”の手法が用いられ、PGAツアーのプロ・アマ大会であるビング・クロスビー・トーナメント(現・ヒューマナ・チャレンジ)とボブ・ホープ・クラシック(現・AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロ・アマ)に彼は挑戦する。そのハンディが、ごく平均的な「18」であるにもかかわらず……。

 若い日本のメディア観客からは、「あっ、突撃取材なんですね」とミもフタもなく返されそうだが、participateは、「関与」「参加」の意味で、出版界では“体験的ジャーナリズム”と訳された。

 二つの大会への参戦を通して綴られたのは、とかくの劇的で華々しい演出とは逆の静かで内省的なゴルフの本質。プリンプトンが身を挺して明らかにするのは自分自信のプレーまでをも含めたゴルフの真実全体である。そのため参戦することでの現実の緊張とプレッシャーは読み手と痛く共有される。アーノルド・パーマー(1929-)への貴重なインタビューも後半の重要部分だが、締め切りに追われている風情はみじんも感じられない。

 いま一つ特筆すべきは、奥深いゴルフ・ワールドを伝えんがための軽やかで鋭いユーモア。私自身は杉山通敬(1935-2008)や夏坂健(1936-2000)の一連のゴルフ・ライティングを愛する者だが、プリンプトン特有の少年性=アマチュア精神を失わんとする『ボギー・マン』のユニークさも捨てがたい。この本で彼が導きだしたのは、「ゴルフはあらゆる点で個人的なスポーツで、想像力の入り込む余地が多い」という結論だった。

 蛇足になるが、表題のボギー・マンは「おばけ」の意味で、「おばけのようにすごいゴルファー」転じて、じょうずな競技者のとるべき打数であるボギー(・スコア)の語源となった。洞察的な体験取材を続けるプリンプトンもまた(ハンディ「18」の)ボギー・マンなのだった。
 
(初出:『Free & Easy』(イースト・コミュニケーションズ)2012年5月号別冊

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。 

リーディング・ブックス ~書評再録(6)~

『大停滞』 

 雇用を生まないITが招く悲しい現実


大停滞


 いまの気分そのもののタイトル(『大停滞』)に惹かれて扉を開いてみた。吸い込まれるように目に入ったのは、第3章の『インターネットはなにを変えたのか?』である。

 よって、第1章『容易に収穫できる果実は食べつくされた』と第2章『経済の生産性は見かけほど向上していない』は、いきなり後回し。ネット体験に関する〈中間総括〉がいいかげんあって当然という気持ちがはたらいたからである。

 49歳の著者コーエンは、ツイッター、ブログ、Webサイト、イーベイのオンライン・オークション、動画投稿サイトのYouTubeなどを世界中の人たちと同じように1ドルも出費せずに楽しんでいると記す。

 そもそもタイラー・コーエンらの運営する経済ブログ「Marginal Revolution」からして無料で読むことができるものなのである。著者もいうように拝金・物質主義的発想からの脱却という積年の願望は、実現されつつある。ただし大きな痛みを伴いながら……。

 コーエンの非凡さは、雇用と収入を生み出す力の小ささに目を向けたことだ。今日的イノベーションの価値を大いに認めながらも、彼としては近年の〈主なインターネット関連企業の雇用数(従業員数)〉を引き合いに出さざるを得ない。

 グーグルの2万人、イーベイの1万6400人は一見ふさわしい数字に見えるが、私の調べでも東芝、ソニーなどの従業員数(連結)と比べると桁が一つ一少ない。その後、2千人に増えたとはいえ、フェイスブックの場合は1700人。ツイッターに至ってはわずか300人。音楽産業においては、デジタル音楽の普及で多くの雇用が失われたにもかかわらず、iPodがもたらした雇用は小売り部門と開発部門を含めてわずか1万3920人。雇用の純増分は微々たるものだと喝破する。

「近年のアメリカ経済でジョブレス・リカバリー」(雇用拡大をともなわない景気回復)」が起きている理由の一端は、ここにある」とインターネット普及後の果実の小ささとを重ね合わせる著者は、期待外れな結果はアメリカ一国にとどまらず世界の国々の政府債務危機にも表れていると記し説得力がある。

 第2章ではアメリカの急成長部門である政府支出・教育・医療の部門が再検討される。発表されたGDPなどの数値よりも生活実感として貧しい上に、生産性も進歩の度合も怪しいという指摘である。読み手の中の「内なるエコノミスト」の部分が生身の人間でもあるエコノミスト、コーエンによって刺激される。

 目からウロコの3章にほだされて私は本書を批判がましく読まずに済んだわけだが、エコノミストには本物の処方箋が求められている。収穫の果実が消滅しつつあるこの大停滞=「新しい現実」をニュー・ノーマルとして、理性と科学技術の重要性を理解することで対処しよう。さあ、難しい問題に向き合おう──が結語では合意できない読者も出てくるだろう。天気予報のタレントですらそこまでノーテンキではない。

 本書はいわば希望装いの悲観的経済書。「滅多に当たらない気象予報士」を彷彿とさせるエコノミスト諸氏にはない潤度の高さが魅力である。ただ、経済学の日常生活への応用に熱心になり過ぎると、自己啓発書につきものの悪臭がたちこめることにも。

「日銀デフレ」批判の論客として知られる経済学者若田部昌澄まさずみによる専門解説──〈「夢の未来」が失われた後の経済学〉が付き、冒頭にも絶賛書評の各紙(誌)ダイジェストを載せている。コンパクトな本づくりに一工夫があり、「物事が昔のようにうまく行かない」──と苦々しげにつぶやく人にとってのとりあえずの鎮痛剤にはなりそうだ。

Tyler Cowen=1965年、米国生まれ。米ジョージ・メイソン大学経済学部教授。2011年、英エコノミスト誌で「今後最も世界に影響を与える経済学者の一人」に選ばれた。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版社)2011年12月30日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。 

リーディング・ブックス ~書評再録(5)~

『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』
佐野眞一著 集英社文庫 上下巻各743円+税
沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上(集英社文庫)
 それぞれの沖縄理解(のようなもの)がある。だが今は聞き捨てならぬ意見も耳にする。

 曰く「米軍犯罪ばかり目立つけど、ちゅら島は殺人事件や飲酒運転の発生率が日本一高いアブない県なんでしょ」。曰く「沖縄に仕事で行くと約束の時間を守らない人が多くて困る」。

 一体全体、沖縄とは何なのか。「同情史観」だけで立ち行かなくなっていることもまた確かだろう。本書刊行の機は熟していたのだと思う。

 この本は天皇家と沖縄とのかかわりから米軍、裏社会、琉球芸能までを豊富なインタビューによってカバーしている。その対象は“米(国)留(学)組”の親睦団体「金門クラブ」のメンバー、『沖縄密約―「情報犯罪」と「日米同盟」』の著者で元毎日新聞記者の西山太吉、更には'70年代のヤクザ抗争でトップのタマをとったヒットマンにまで及ぶ。“軽量級商品”に慣らされた読者には重厚長大な作品である。

 佐野眞一の場合は、どうやら言い過ぎ書き過ぎも芸のうち。日本最西端の島、与那国を描く際にも以下のような気骨稜々ぶりが発揮される。
〈与那国は沖縄耽溺者ウチナージャンキーの聖地である。古くは、竹中労が南島辺境からの革命ブームにずぶずぶにハマり、沢木耕太郎が日本から失われた純朴ムードに無邪気にイカれ、吉田司が例のひねくれた文章で物議をかもし、後に削除だらけのトンデモ本を書く羽目になったのが、この島である。あの司馬遼太郎までがこの島を訪ね、与那国の雰囲気とはおよそ「芸風」違いの「風土と人間を見つめる思索の旅」をおごそかに展開している〉
 ノッて仕事をしていたのが伝わるだけあって、どの項も破格の面白さである。それは波瀾万丈の人生で県民に知れわたる沖縄政財界の大物の考察だけにとどまらない。佐野は統計数字と不釣り合いな町並みの繁栄をいぶかり、「模合もあい」「寄合ユーレー」と呼ばれる相互金融組織とヤクザとの結びつきの可能性を県警元幹部から聞き出す。

 本書の刺激的な表題「だれにも書かれたくなかった」に最もふさわしいのは、「空白の琉球弧──奄美群島」の項だろう。

 そこでは“被害者の島”であるはずの沖縄による“奄美差別”の実態が明らかにされる。

 もっとも、それ以上の驚きは、沖縄の奄美出身者を助けたのが創価学会=公明党で、同党が2006年11月の沖縄知事選で仲井眞弘多なかいまひろかず新知事を誕生させる原動力になったこと。奄美は1947年の時点で非合法の共産党を誕生させた「革新の島」だったという。

 2008年2月に少女暴行事件が起きる。その後の仲井真知事の米軍隷属的な態度に対して、現地の親しい新聞記者は佐野の前で「これじゃ、仲間由紀恵を知事にした方がよっぽどよかった(笑)」と語る。

 こうした苦い笑いの本願は、攻撃の武器としての笑いの復権でもある。佐野は沖縄で戦後唯一右翼の凶刃に倒れた人物が、刺した人間と仲良くなる沖縄ならではの意識と関係性に着目。美談よりずっと深い、“差(刺)しつ差(刺)されつ”の関係という悪い冗談を思い浮かべる。

 破天荒な沖縄は、暗さを暗さのままに描くノワール型ルポの枠組みに収まりきらないようだ。凄まじい敵愾心発生の根に、「門中意識」(=沖縄での同族の結合体をいう。共同の門中墓を持つほど地域的つながりが強い)に象徴的な結束の固さと地縁血縁の濃さがあるとする見解にも得心がいく。

 「本土メディアが容易にすくいとれない沖縄社会の汲めどもつきない奥深さと、不気味さ」──を描く本書は、敵味方が判然としないクライム・サスペンス映画『L.A.コンフィデンシャル』(原作 ジェイムズ・エルロイ)を彷彿させる。そういえば『月刊PLAYBOY』に長期連載されていた時のタイトルからして「沖縄コンフィデンシャル」だった。(注・同誌は、2009年1月号で終刊。本書は2011年夏に上下巻で文庫化されている)
L.A.コンフィデンシャル [DVD]
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版社)2008年10月24日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。 

リーディング・ブックス ~書評再録(4)~

『忘却のしかた、記憶のしかた』
ジョン・ダワー著 外岡秀俊訳 岩波書店 3000円+税
忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争
 国会答弁で安倍首相が「歴史認識については歴史家に任せる」と発言したとき、テレビ中継を見ていた私はつんのめりながらも、近現代史の何人かの歴史家を想い描いたものだ。

 侵略戦争論議の幕引き狙いにしては投げやり過ぎる答弁だし、煙に巻かれた感もぬぐえない。任されるのは日本の保守的な歴史家に限定されるに違いない。「新しさとは、忘却されたものに他ならない」──と述べたのは、アルゼンチンの大作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスだが、昨年一月に出た現首相の著作は、しくも『新しい国へ ~美しい国へ 完全版~』(文春新書)だった。

 2001年夏に「歴史認識」に関する浩瀚こうかんな著述が訳出された。「第二次大戦後の日本人」の副題を持つジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』上下巻(原題『Embracing Defeat』岩波書店)である。歴史家・ダワーの業績を決定づけたこの本は、タイトルのみならず装丁からして一段上を行っていた。
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II
 その上巻は、'99年7月刊行の原著(単著)を踏襲した赤崎正一装丁による表紙カバー。焼け跡を歩く、マントを羽織ったひとりの復員陸軍軍人の写真が選ばれ、日米の読者に強い印象をもたらした。ひっそり寂しいさまが、複雑ながらも何かしらの高貴さと可能性を象徴し、情熱的な史料博捜者であるダワー好みだな、と思った。日米関係とアジアにおける破局的な先の戦争から平和への変遷という生涯のテーマを連想させるに十分だった。

 '80年代から少しずつ日本で知られるようになったダワーが確固たる地位を日米両国で築き上げたことは疑いようもない。日本文学者のドナルド・キーンだけが日本通というわけではない。『敗北を抱きしめて』への支持はピューリッツアー賞、受賞者の国籍問わずの米外交・歴史をテーマにした学術賞であるバンクロフト賞、全米図書賞(ノンフィクション部門)、大佛次郎論壇(特別)賞とほぼ“満票”なのだった。

 さて、長く待たれた最新刊は単著のハードカバーである。今回のカバー装丁は、敵前上陸の戦争画を採用した原著と大幅に違う。不吉な予兆としかいいようのない夜の艦砲射撃をモチーフにしている。

 戦時下と1945年以降の日米両国を扱った11編のこの歴史評論集も「日本の読者へ」で始まる。書名が示すように「過去から何かを選びとって記憶することが、他のことを忘れたり、わざと無視したりすることと、いかに分ちがたいのか」が根源的テーマになっている。

 この本でもダワーは、他者と向き合わずに日本人の受苦だけを記憶する様式化した「被害者意識」の強さや、ユニークさにばかり注目する内向きの「日本人論」が示す“一国例外主義”の危うさを指摘する。ダワーはまたイラク戦争の際にアメリカ国内で盛んに持ち出された「日本侵攻/占領」の成功前例にも手厳しい。「歴史的アナロジー(類推)としてより適切なのは,1930年代の日本による満州占領」という風に。

「戦争と平和における日本とアメリカ」という小品のスケッチが大きな絵を埋めて行く。戦中日本の惨めさをわらう諷刺的な「いろはかるた」の論述にも顕著な「無名のものへの愛着」はマッカーシズムの犠牲者E・H・ノーマン(1909-1957)の再評価で始まる本書においても発揮される。

 それにしても、ダワーが日米の読者の信頼を集めている理由はどのあたりにあるのだろう。日米が共有可能な「歴史認識」を得られる喜びとも重なるのかもしれないが、極論すれば、“戦争両成敗”的な神判に近い人間認識の深さとでもなろうか。これ以上はもう無理というくらいの思考と慎重さの極限にまで達しているからかもしれない。

 しかし、ダワーも述べているように日本と中国との関係は、まずくなるばかりだ。ダワーならではの執筆手法や柔軟な本づくりを参考にして公共の共同歴史研究をより活発化して欲しい。それはまたジャーナリズムの仕事でもある。彼の得た大きな賞のいくつかは、歴史家のもらう賞ではなかったからだ。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版)2013年9月20日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。 

リーディング・ブックス ~書評再録(3)~

『破綻するアメリカ  壊れゆく世界』
ノーム・チョムスキー著 鈴木主税・浅岡政子翻訳 集英社 2900円+税
破綻するアメリカ 壊れゆく世界
 米・情報機関、国際安全保障局(NSA)のサイバー監視がブッシュ前政権から長期的に継続。人権派大統領のはずのオバマですら独・メルケル首相の携帯電話を盗聴していた。いやそれどころかむしろ強化していたという信じがたい事実。やはり、アメリカは道義的に破綻しています。


                  *

  原題は「破綻国家」の意である『Failed States』。ロンドンの出版社から2006年4月に刊行されている。

 ユダヤ系アメリカ人の著者がそのタイトルに込めた意味は、〈唯一の超大国アメリカこそが、実は流行語のように定着しつつある「破綻国家」の諸条件を満たしている〉

 具体的には「アメリカの『システム』全体が深刻な事態に陥っているのではないか、つまり、自由や平等や、本来の意味での民主主義という、歴史的な価値に終わりを告げようとしているのではないか」という憂慮だ。

 本書前半(1章~3章)では、覇権国家による国際法違反が次々に指摘される。極め付きは、映画『スター・ウォーズ』シリーズさながらの宇宙の軍事化である。

 始めたのはいかにもの43代ブッシュ・ジュニア政権(2001.1.20~2009.1.20)ではなく、前代のクリントン政権(1993.1.20〜2001.1.20)。宇宙支配のドクトリン(基本原則)を宇宙の「所有」へと拡大したのがブッシュ・ジュニア政権だったという。

 しかも宇宙の利用を平和目的に限定しようとする取り組みを国連で率先して進めているのは、アメリカ政府による人権批判の的となった中国政府。軍拡競争を防ぐ動きをイスラエルとともに邪魔することが選挙の争点にも国民の議論にもならないアメリカの実態を「まさに衝撃的かつ危機的」とチョムスキーは分析する。

 ディープな調査報告書から新聞の死亡記事にまで至る効果的かつ的確な引用はいつもながら。資料・文献への徹底的目配りには調査協力者が存在すると聞く。

 本書前半からはまた、著者の反戦思想の核心とつながる重要な箇所が見いだせる。第1章「厳しく、恐ろしく、避けようのない選択」で再度日の目をみることになる1955年7月の「ラッセル-アインシュタイン宣言」である。

 同宣言は大量破壊兵器による、種の一員“ヒト”絶滅の危機に際して世界の人びとがいま「人類を絶滅させるか、それとも人類が戦争を放棄するか」の選択を迫られている──というもので、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士ら11名が署名した。



 チョムスキーが「宣言」をまとめた哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)の影響を受けたことはよく知られている。本書前半の脊椎とも言うべき「宣言」を紹介したあと、チョムスキーは続けてこう記す。
「これまでのところ、人類は戦争を放棄していない。それどころか、世界の覇権をにぎるこの国(アメリカ)は、際限のない『先行自衛』主義にもとづき、自分たちには意のままに戦争をする権利があると考えている」
 そのうえで、「半世紀以上も前の彼らの呼びかけ(挑戦)を無視することで、私たちは自分たちの命を危険にさらしている」と結語し、読み手は虚を突かれる。1928年生まれの元気老人に喝を入れられたようなものだ。

 本書の後半(=「海外における民主化促進」<第4章>、「中東が証明するもの」<第5章>、「アメリカ国内における民主化促進」<第6章>)ではさらに、力の乱用の口実としてのエセ民主主義と制度の機能劣化の現状があぶりだされる。イスラエルによるガザ侵攻の背景や真相に暗い多くの人にとっては、中東紛争の固定観念を覆す第5章がとくに貴重なものになるはずだ。

 精力的活動を続けるチョムスキーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめとするメディアやエリート知識人の言動に目を光らせ、真偽を問う姿勢を崩さない。新自由主義を標榜するサッチャー政権以来、英米では軍の民営化が進み、「対テロ戦争株式会社」と政界幹部との癒着や情報操作が露骨だ。腐敗を白日の下にさらす努力がますます重要になっている。

  この『破綻するアメリカ 壊れゆく世界』は、ダメなアメリカをいたずらにあげつらう類の本ではない。正しい認識と再考によって「壊れゆく世界」のつくり直しの糸口がつかめるように整理されている。皮肉な原題『破綻国家』の根底には悲劇からの脱却や改善への願いがあり、ラストも思いのほか爽やかで常識的。それが卒読しての感想である。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版社)2009年2月6日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。 

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