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サヤマ・リマスタリング

ヴォルトマン監督インタビュー『戦後ドイツの苦悩と浄化』(3/3)

 対話を続けていくうちに、ふと、日本版『ベルンの奇蹟』を撮れないものかなと考えた。映画のフライヤー(チラシ)には、こんなコピーが記されている。

《ドイツの歴史のなかで、2つの偉大な出来事がある。ひとつは1989年ベルリンの壁の崩壊、もう一つは、1954年7月4日、サッカーWカップでのドイツの勝利だ。それは、敗戦国の人々に勇気を与えてくれ、“ベルンの奇蹟”として神話となっている。同じ日、11歳のマチアスは、Wカップに夢を託していた。戦争帰りで自信を失っているお父さんと、仲直りできますように──》

 ヴォルトマンさんならどんなタイプの監督を起用しますかね、と唐突な相談を持ちかけてみた。

「うまく製作意図を伝えることが出来るといいですね。スポーツの歴史に精通している監督がいいと思いますよ」

「ベルンの奇蹟」に該当するのは、東京オリンピックの成功ということになるのだろうが、敗戦からわずか9年で世界1になれたこととは性質が違うような気がする。ジョホールバルでワールドカップ初出場を決めた時のほうが、情念の爆発という点ではより近いのかもしれない。
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 映画『ベルンの奇蹟』を観終わったあとに感じたのは、W・ペーターゼン監督の『U・ボート』('81年)に共通する何かです、とヴォルトマン監督に感想を述べた。

 ユダヤ人大量虐殺という絶対悪への加担者側は当然、人間としての自信を喪失している。戦争や戦後社会を描くことさえ遠慮がちな完全悪役からいまだ逃れられない現実がドイツと日本にはある。『Uボート』の幕切れとは明暗分かれて対照的だが、苦悩の浄化なしにはヒトも歴史も前に進めない。

「『U・ボート』はベストな映画作品だと思います。『ベルンの奇蹟』による感動が同じレベルで語られるということでは非常に嬉しく思います。第二次大戦でドイツは欧州各国を占領し、英国にまで攻め込もうとした歴史があります。ナチズムがサッカーの世界に影響を及ぼしたことも事実です。様々な問題が克服されたかどうかについては依然として難しい面がありますが、サッカーに代表されるスポーツが、日本と中国、韓国などの国々との緊張関係を緩和してくれる役割を担ってくれるようにいつも願っています」

 対話を更に続けたかった。だが、残念ながらそろそろタイムアップ。ジャンルを超えて最も強い影響を受けた人物は? という最後の質問に彼が「ネルソン・マンデラ」と答えたのも忘れ難い。(了)

初出:『週刊サッカー・マガジン』(ベースボールマガジン社)2005年5月

※「サヤマ・リマスタリング」は毎週水曜日・金曜日に掲載予定です。

サヤマ・リマスタリング

ヴォルトマン監督インタビュー『戦後ドイツの苦悩と浄化』(2/3)

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 歴史的事実からどこまで自由になれるか。それもまた映画監督の腕の見せどころだ。

 フットボール史家は、ハンガリー代表フェレンツ・プスカシュ(27)に対するセンターハーフ、ヴェルナー・リープリッヒによる故意のタックルによる怪我が、西ドイツに初優勝をもたらしたと記している。それは双方の2戦目にあたる一次リーグでの試合のことだった。同一カードの初戦に、8-3(前半3-1)でハンガリーが楽勝しているからこその「ベルンの奇蹟」とも言えますね、と私。

「プスカシュの怪我よりも、雨が降ったことが決定的要因だったと思います。大会直前にアディダスの創始者、アディ・ダスラー(当時48歳)が取り替え式スタッド装着のシューズを開発したことが後半の逆転劇に繋がりました。それはネジ式の靴底でハンガリー代表の持っていなかった靴なんです」

 それもあってかアディダス社は当時着用したユニフォームや靴の再現を無償で引き受けてくれたそうだ。

 決勝戦を伝えるラジオ・アナウンサー、ヘルベルト・ツィンマーマンの実況も大きかった。それはまさに「国民国家」という名の情報空間が創り出されて行く瞬間瞬間でもあった。

 西ドイツでは、モノクロームによる当時のニュース映像が幾度となく放映されて来たという。日本に置き換えれば、戦後社会のスポーツ英雄「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進+力道山+白井義雄ぐらいのパワーをもたらしたのが「ベルンの奇蹟」なのだろう。

「決勝の5つのゴールシーンだけは当時と同じように再現したつもりです。みんな巧くて、一つのゴールに対して5、6回でOKを出せました」

 と、ヴォルトマン監督。

 意外なのは、その資料映像の尺。「どうかき集めてもトータルで8分間しかなかった」と言う。ヴォルトマン監督は、ドイツ人が繰り返し見て来た8分間の映像を何度も見直してから撮影に臨んだそうだ。

 来日中のヴォルトマン監督とは、六本木ヒルズにあるグランドハイアット東京で会っていた。指定された4階の小宴会場ローレルの卓上には、チョコレートなどのお菓子類に復元した50年代のサッカー靴と焦茶色ボール。ジーンズ姿の監督はインタビュー攻勢で疲れ気味の様子だ。

「哀しいことなんですが、スケジュールが一杯でどこにも行けないんです。10年前にぴあフィルムフェスティバルで初めて来た時は京都に行ける時間もあったんですけどね」

 聞けば、『ベルンの奇蹟』の日本でのPR活動のためにドイツ『キッカー』誌主催のパネル・ディスカッションも欠席したとか。出席者は、編集長のライナー・ボッシュ、ユルゲン・クリンスマン・ドイツ代表監督という錚々たるメンバーだったという。忙しさはドイツ国内にいてもあまり変わらないようだ。

「ケルンの自宅に子供が3人居ます。プライベートでも忙しくて、なかなかスタジアムに行けません。サポートするクラブはなくて、弱小チームが強豪に勝つのを観るのが好きなんです」

 映画館とサッカー場、敢えて比較した場合、どっちがお好きですか。

「あ~……、比べるのが難しいですね。人生の中では両方とも素晴らしい面があるので。でも、2006年6月9日からの1カ月間は休暇を取ろうと思っています。自国での32年ぶりのワールドカップ開催には特別な意味がありますから。自分が生きている間に、果たしてもう一度あるかどうかも分からないし。ですから本当にその時期だけは、何もしたくないですね。いや、皆も、その間だけは何もしちゃいけない。大会だけを楽しんでいればいいんです」

 日本では映画もサッカーもトップの呼び方は「カントク」。ドイツのように「トレーナー」とは言わないんですよ、と私。

「面白いですね。ドイツでは中盤でうまくゲームを作ってくれる選手のことをレジセーア(監督/演出家)と言うんですよ。ところで、私と同年代のリトバルスキーは今、どうしていますか?」



 リッティーは日本協会の公認S級ライセンスを取得してから2部リーグにあたるJ2横浜FCの監督を2シーズンやりました。今はオーストラリア=AリーグのシドニーFCの監督です。FC横浜のGMは、西ドイツで8年間活躍した奥寺康彦さんなんですよ。

「知ってます。ブンデスリーガ初の日本人でしたね。彼はファンからとても愛されていました」

 生活にサッカーが根づいている国の人ならではの落ち着き。監督自身も TSVマルル・ヒュルス時代に、ユース代表入りの可能性があったと言う。(この項つづく)
 
初出:『週刊サッカー・マガジン』(ベースボールマガジン社)2005年5月

※「サヤマ・リマスタリング」は毎週水曜日・金曜日に掲載予定です。

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ヴォルトマン監督インタビュー『戦後ドイツの苦悩と浄化』(1/3)

 ヨアヒム・レーヴ監督のドイツ、強かったですねえ。そこで、こんなテクストを資料庫から。『サッカー・マガジン』平澤大輔編集長時代の懐かしい人物コラムです。
 ドルトムント時代の日本代表MF香川真司(当時21)がドイツ最大のダービーにして77回目の対シャルケ04戦(アウェー)の勝利に寄与したとき、ふと思い出したのがドイツ映画『ベルンの奇蹟』(配給:エレファント・ピクチャー)の監督、ゼーンケ・ヴォルトマンへのインタビュー。2005年春のことだった。日比谷・東宝映画街シヤンテ  シネで  同年4月16日から先行上映され、全国21カ所での封切りも決定。「日本におけるドイツ年」を盛り上げていた。
 『ベルンの奇蹟』は、いかにもの英雄主義的タイトル。だが、映画の背景にあるのは炭坑地帯=ルール地方の家族の傷痕である。
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『ベルンの奇蹟』の監督、ゼーンケ・ヴォルトマンは1959年マルル生まれ。ミュンヘンのTV映画学校とロンドンの王立美術カレッジで映画テクニックを学んだ人である。

 映画の背景にあるのは、1954年の第5回ワールドカップ・スイス大会。ベルンのヴァンクドルフ・スタジアムで行われた日曜午後の決勝、西ドイツーハンガリー戦(3-2〈前半2-2〉)は同年7月14日のことだから、ヴォルトマン監督は当時まだ生まれていなかったことになる。

 日本の元号で言えば、昭和29年。敗戦国・西ドイツの人々にワールドカップでの初優勝が復興のシンボルとなり、勇気と希望を与えたことが作品の前提としてある。

 導入部では11歳のサッカー少年マチアスの快活さとソ連での抑留生活から送還されたばかりの父親ルバンスキーの陰鬱とが対比的に描かれる。

 ペーター・ローマイヤーはシュツットガルトのユースチームに在籍したことのある男優だが、役の上では息子のサッカー好きを認めない。

 「息子と父親のキャスティングの妙によって、既に半分成功が保証されたようなものですね」と来日中のヴォルトマン監督に言ってみた。

「西ドイツ代表FWヘルムート・ラーンの友だちという設定のマチアス少年役(ルイ・クラムロート)は、細くてガリガリなんです。彼のその体つきが、飢えて死んで行く人もいた'50年代ドイツの炭坑地帯=ルールを反映させるためのふさわしいキャラクターになりました」

 余談になるが、ルール地方の古豪BVボルシア・ドルトムントとFCシャルケ04による「レヴィアー(炭坑)・ダービー」はドイツ最大のダービーである。

 貧しい時代背景の象徴という意味では、監督が持って来てくれた“使用球”も凄まじい。泥水で煮染めたようなボールは、埃の固まりのように見える。貧しかった'50年代を表すために必要なのでわざわざ作らせたそうである。少年たちが夢中になってゴールを争うシーンは草サッカーと言うよりは泥サッカー。焦茶(こげちゃ)色のボールが、この映画のもう一人の主役だ。戦後社会に溶け込むことの出来ない冷淡かつ厳格な父親がピカピカの新品の茶色いボールを息子にプレゼントするシーンも印象深い。
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 映画『ベルンの奇蹟』では、西ドイツの快進撃と苦悩するルール地方のルバンスキー一家とが並行的に描かれる。単純な英雄主義の映画では終われなかったのだろう。苦労の連続だったのではないかと問うてみた。

「大変でした」とラフないでたちのヴォルトマン監督。だがそれは700万ドルを必要とした制作費についてのようだ。

「撮影は全てスムーズに行きました。ただ残念ながらドイツにはスポーツ映画に対する偏見があって、スポーツを題材にした映画でおカネを儲けることは不可能と思われています。この映画による興行的成功のあとは、偏見がだいぶ減って、ちゃんとビジネスになるものと認識し直されましたけどね」
(この項つづく)
 初出:『週刊サッカー・マガジン』(ベースボールマガジン社)2005年4月

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