リーディング・ブックス ~書評再録(3)~

『破綻するアメリカ  壊れゆく世界』
ノーム・チョムスキー著 鈴木主税・浅岡政子翻訳 集英社 2900円+税
破綻するアメリカ 壊れゆく世界
 米・情報機関、国際安全保障局(NSA)のサイバー監視がブッシュ前政権から長期的に継続。人権派大統領のはずのオバマですら独・メルケル首相の携帯電話を盗聴していた。いやそれどころかむしろ強化していたという信じがたい事実。やはり、アメリカは道義的に破綻しています。


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  原題は「破綻国家」の意である『Failed States』。ロンドンの出版社から2006年4月に刊行されている。

 ユダヤ系アメリカ人の著者がそのタイトルに込めた意味は、〈唯一の超大国アメリカこそが、実は流行語のように定着しつつある「破綻国家」の諸条件を満たしている〉

 具体的には「アメリカの『システム』全体が深刻な事態に陥っているのではないか、つまり、自由や平等や、本来の意味での民主主義という、歴史的な価値に終わりを告げようとしているのではないか」という憂慮だ。

 本書前半(1章~3章)では、覇権国家による国際法違反が次々に指摘される。極め付きは、映画『スター・ウォーズ』シリーズさながらの宇宙の軍事化である。

 始めたのはいかにもの43代ブッシュ・ジュニア政権(2001.1.20~2009.1.20)ではなく、前代のクリントン政権(1993.1.20〜2001.1.20)。宇宙支配のドクトリン(基本原則)を宇宙の「所有」へと拡大したのがブッシュ・ジュニア政権だったという。

 しかも宇宙の利用を平和目的に限定しようとする取り組みを国連で率先して進めているのは、アメリカ政府による人権批判の的となった中国政府。軍拡競争を防ぐ動きをイスラエルとともに邪魔することが選挙の争点にも国民の議論にもならないアメリカの実態を「まさに衝撃的かつ危機的」とチョムスキーは分析する。

 ディープな調査報告書から新聞の死亡記事にまで至る効果的かつ的確な引用はいつもながら。資料・文献への徹底的目配りには調査協力者が存在すると聞く。

 本書前半からはまた、著者の反戦思想の核心とつながる重要な箇所が見いだせる。第1章「厳しく、恐ろしく、避けようのない選択」で再度日の目をみることになる1955年7月の「ラッセル-アインシュタイン宣言」である。

 同宣言は大量破壊兵器による、種の一員“ヒト”絶滅の危機に際して世界の人びとがいま「人類を絶滅させるか、それとも人類が戦争を放棄するか」の選択を迫られている──というもので、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士ら11名が署名した。



 チョムスキーが「宣言」をまとめた哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)の影響を受けたことはよく知られている。本書前半の脊椎とも言うべき「宣言」を紹介したあと、チョムスキーは続けてこう記す。
「これまでのところ、人類は戦争を放棄していない。それどころか、世界の覇権をにぎるこの国(アメリカ)は、際限のない『先行自衛』主義にもとづき、自分たちには意のままに戦争をする権利があると考えている」
 そのうえで、「半世紀以上も前の彼らの呼びかけ(挑戦)を無視することで、私たちは自分たちの命を危険にさらしている」と結語し、読み手は虚を突かれる。1928年生まれの元気老人に喝を入れられたようなものだ。

 本書の後半(=「海外における民主化促進」<第4章>、「中東が証明するもの」<第5章>、「アメリカ国内における民主化促進」<第6章>)ではさらに、力の乱用の口実としてのエセ民主主義と制度の機能劣化の現状があぶりだされる。イスラエルによるガザ侵攻の背景や真相に暗い多くの人にとっては、中東紛争の固定観念を覆す第5章がとくに貴重なものになるはずだ。

 精力的活動を続けるチョムスキーは、『ニューヨーク・タイムズ』紙をはじめとするメディアやエリート知識人の言動に目を光らせ、真偽を問う姿勢を崩さない。新自由主義を標榜するサッチャー政権以来、英米では軍の民営化が進み、「対テロ戦争株式会社」と政界幹部との癒着や情報操作が露骨だ。腐敗を白日の下にさらす努力がますます重要になっている。

  この『破綻するアメリカ 壊れゆく世界』は、ダメなアメリカをいたずらにあげつらう類の本ではない。正しい認識と再考によって「壊れゆく世界」のつくり直しの糸口がつかめるように整理されている。皮肉な原題『破綻国家』の根底には悲劇からの脱却や改善への願いがあり、ラストも思いのほか爽やかで常識的。それが卒読しての感想である。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版社)2009年2月6日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。