リーディング・ブックス ~書評再録(4)~

『忘却のしかた、記憶のしかた』
ジョン・ダワー著 外岡秀俊訳 岩波書店 3000円+税
忘却のしかた、記憶のしかた――日本・アメリカ・戦争
 国会答弁で安倍首相が「歴史認識については歴史家に任せる」と発言したとき、テレビ中継を見ていた私はつんのめりながらも、近現代史の何人かの歴史家を想い描いたものだ。

 侵略戦争論議の幕引き狙いにしては投げやり過ぎる答弁だし、煙に巻かれた感もぬぐえない。任されるのは日本の保守的な歴史家に限定されるに違いない。「新しさとは、忘却されたものに他ならない」──と述べたのは、アルゼンチンの大作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスだが、昨年一月に出た現首相の著作は、しくも『新しい国へ ~美しい国へ 完全版~』(文春新書)だった。

 2001年夏に「歴史認識」に関する浩瀚こうかんな著述が訳出された。「第二次大戦後の日本人」の副題を持つジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』上下巻(原題『Embracing Defeat』岩波書店)である。歴史家・ダワーの業績を決定づけたこの本は、タイトルのみならず装丁からして一段上を行っていた。
Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II
 その上巻は、'99年7月刊行の原著(単著)を踏襲した赤崎正一装丁による表紙カバー。焼け跡を歩く、マントを羽織ったひとりの復員陸軍軍人の写真が選ばれ、日米の読者に強い印象をもたらした。ひっそり寂しいさまが、複雑ながらも何かしらの高貴さと可能性を象徴し、情熱的な史料博捜者であるダワー好みだな、と思った。日米関係とアジアにおける破局的な先の戦争から平和への変遷という生涯のテーマを連想させるに十分だった。

 '80年代から少しずつ日本で知られるようになったダワーが確固たる地位を日米両国で築き上げたことは疑いようもない。日本文学者のドナルド・キーンだけが日本通というわけではない。『敗北を抱きしめて』への支持はピューリッツアー賞、受賞者の国籍問わずの米外交・歴史をテーマにした学術賞であるバンクロフト賞、全米図書賞(ノンフィクション部門)、大佛次郎論壇(特別)賞とほぼ“満票”なのだった。

 さて、長く待たれた最新刊は単著のハードカバーである。今回のカバー装丁は、敵前上陸の戦争画を採用した原著と大幅に違う。不吉な予兆としかいいようのない夜の艦砲射撃をモチーフにしている。

 戦時下と1945年以降の日米両国を扱った11編のこの歴史評論集も「日本の読者へ」で始まる。書名が示すように「過去から何かを選びとって記憶することが、他のことを忘れたり、わざと無視したりすることと、いかに分ちがたいのか」が根源的テーマになっている。

 この本でもダワーは、他者と向き合わずに日本人の受苦だけを記憶する様式化した「被害者意識」の強さや、ユニークさにばかり注目する内向きの「日本人論」が示す“一国例外主義”の危うさを指摘する。ダワーはまたイラク戦争の際にアメリカ国内で盛んに持ち出された「日本侵攻/占領」の成功前例にも手厳しい。「歴史的アナロジー(類推)としてより適切なのは,1930年代の日本による満州占領」という風に。

「戦争と平和における日本とアメリカ」という小品のスケッチが大きな絵を埋めて行く。戦中日本の惨めさをわらう諷刺的な「いろはかるた」の論述にも顕著な「無名のものへの愛着」はマッカーシズムの犠牲者E・H・ノーマン(1909-1957)の再評価で始まる本書においても発揮される。

 それにしても、ダワーが日米の読者の信頼を集めている理由はどのあたりにあるのだろう。日米が共有可能な「歴史認識」を得られる喜びとも重なるのかもしれないが、極論すれば、“戦争両成敗”的な神判に近い人間認識の深さとでもなろうか。これ以上はもう無理というくらいの思考と慎重さの極限にまで達しているからかもしれない。

 しかし、ダワーも述べているように日本と中国との関係は、まずくなるばかりだ。ダワーならではの執筆手法や柔軟な本づくりを参考にして公共の共同歴史研究をより活発化して欲しい。それはまたジャーナリズムの仕事でもある。彼の得た大きな賞のいくつかは、歴史家のもらう賞ではなかったからだ。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版)2013年9月20日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。