サヤマ・リマスタリング

「2005年の日本代表監督考」第5回

──スタジアムで声援を送るサポーターが今、考えるべきことがありますか。

佐山(以下、S) 単独でテヘランに行って、帰国して埼玉スタジアムに行ったら、やっぱり電圧テンション低いなあ、と。声量でも全然かなわない。ならばもう少し効果的にと考えるべきですよ。何かそろそろ変化が欲しい。頭もカラダも燃え尽きる場がワールドカップ予選なんだから、試合後の場内一周も代表の試合のあとは要らないと思う。余力を見せない美学のようなものがあってもいいと思いますね。

 Jリーグの場合は、陸上用トラック介在のお詫びのためなのか、試合後いちいちコア・サポーターの所に行って褒められたりブーイングを受けたり。いつの間にかそんなクセとしての文化が出来上がってしまった。これを変えるのは最早不可能でしょう。だからこそ代表戦だけはサポートの差異化が必要。

 それと拍手の効用についても考え直すべきでしょうね。提案をまじえて選手個々に聞いて行けばいい。本当に鼓舞された瞬間はどういう応援方法だったのか。空転、空費というのがやっぱり良くないことでね。そうしたテーマについては残り時間が減って来た僕のような中高年のほうが案外、敏感なのかもしれない。

──やっぱり1964年の東京オリンピックから観て来た佐山さん世代からも「熱」が今一つ上がらない感じですか。

S フットボールとの付き合いってヤワなもんじゃないですよね。楽しいことなんかむしろ微々たるもので、寒いわ、腹が立つわ、カネはかかるわで、そろそろ潮時かな、誘いも多いから、ただのゴルフオヤジになるのもいいかなと考えるようになってきた(笑)。

 そんな時に秘密の合言葉みたいなものが二つあって、一つは、《keep a stiff upper lip》(苦境に耐えて)勇敢に頑張る」。スティフ・アッパー・リップというのは、上唇をキッと引き締めたままにすることです。

 それともう一つは、《muddle through》の精神。マドゥル・スルーは、「(しばしばおどけて)どうにかこうにか切り抜けてやって行く」の意で、手段・方法を尽くして打開して行くプロセスを楽しむ精神的余裕のこと。もたつきながらでもいいから、うまくやり通してしまうことが大切です。

 だから、仮に最終予選で2位になれなくても、すぐに態勢を立て直して再度チャレンジすればよいとする本当の意味での強靭さと通底している。だけどそれは、Jリーグが始まる前に築かれたもので、恵まれた幸せなときに人間は決して鍛えられませんよというごく当たり前の物の考え方だと思っているんです。

 実は僕の一番嫌いなのがドーハでイラクに同点にされた直後のシーン。それがロスタイムであるにせよ、可能性ががまだある限りは、どれだけ疲弊していてもショックから一瞬にして立ち直って、ボールを引っ掻き出して再開すべきだったんじゃないかと、当時そこに居た選手に言ったことがあります。

──嫌われませんでしたか。

S 全然。中高年の質的量的な層の薄さが、この国のサッカーを不安定にしてるという考え方だから、そこは厳しいお父さんみたいなことを言わないと。何でも切り開かなければならない“父なし子”というのは辛いし効率が悪いんですよ。ブラジル流の4-4-2であろうと3-5-2であろうと、ジーコの負ける時は大体彼の中の慈母的要素が強く出た時という気がするんです。でも、このインタビューを通じてどこかジーコに甘目なのは、彼と生年月日が殆ど変わらないからかもしれませんね(笑)。生まれ育ちは違っていても、同世代ならではの似た感じ方というのはあるんです。

2014年の追記:
 ジーコとザッケローニが同じ1953年生まれであることを知る人は少ない。個人的には彼らより若い日本人監督に次をやってもらいたいが、ブランド力不足以前に、そうした重要な「選択」に関する議論を避けたがる傾向も根強い。

 とはいっても、「自国民監督以外でワールドカップを制した国はない」というふうな大人の意見も聞かれるにようにはなっている。日本人指導者の経験が積めないから2度連続の外国人監督はやめよう、JFAの名誉会長、最高顧問職を廃止せよ、本物の応援とは何だろう、陸上競技兼用スタジアムでの試合から正規料金を徴収するな……等々嫌われるようなことばかりをその後も発信しているが、確実に言えるのは、サッカー界全体の「老化」である。それを成熟と考えられる人は、よほどおめでたい人たちだ。この項、了)

緊急発売 どうなるジーコジャパン!? (エンターブレインムック)
初出:『サカ通日本代表スペシャル』2005年5月/エンターブレイン
「歴史から学ぶ、日本代表監督名鑑。」を改題・補筆 聞き手:山城敬

※「サヤマ・リマスタリング」は毎週水曜日・金曜日に掲載予定です。