サヤマ・リマスタリング

雑誌の明日(3/5)

ハード・インタビュー讃

 雑誌づくりの基本って何なのだろうと考えることがある。'80年代からぼくはインタビューにこだわってきた。「術」にとどまらぬ自分なりの「論」を実践的に構築しながら有名無名珍奇人たちに話を聞きまくった。

 でもそれは、あくまでも対談や座談会ではない「内視鏡」の語源に似たインタビュー。個人が「二人称&二人称」のもたれあいではない、私(一人称)vs.あなた(二人称)で問い、語り合う光景を誌上パフォーマンスすることに雑誌の未来があると信じていた。

 その場合、読者は「彼」か「彼女」の三人称ということになる。ぬるい対談は世間話にしか過ぎない。それとは一線を画す「インタビュー」には「社会」と同時成立する鋭い矢のようなイメージがあった。

 この理屈を史上もっとも強力に推進したのが、2006年に76歳で亡くなったオリアーナ・ファラーチというイタリア人女性作家である。彼女のインタビュー原稿は'80年代当時、一本8千ドルといわれていたから、たぶん日本では1万ドル以上出していたに違いない。


 フォークランド戦争を引き起こしたアルゼンチン軍事政権のレオポルド・ガルチェリ大統領、キッシンジャー、鄧小平、アラファトPLO議長、イラン最後の皇帝パーレビ国王(=パフラヴィー2世)、ホメイニー師、カダフィ大佐、シャロン国防相らとのインタビューはまさに彼女の言う「物語を秘めた演劇」。権力形成の方法や癖を見きわめようとすることで対象を赤裸々に描き出していた。

 その手法においては、迫力ある女性であることが、やはりものをいった。権力者にはギャラントリー(=勇敢さや女性に対する慇懃さ)がふさわしいから、反ファシスト組織の闘士にして女性初の戦争記者だったファラーチ女史を無下には出来ない。そしてみながドツボにはまるのだ。
f0180830_21442171
 最も有名な逸話は、イラン革命の指導者ホメイニーがチャドルをむしり取ったときのことだろう。それは、「気に入らないのなら、かぶらなくていい。チャドルというものはちゃんとした若い女性のためのものなんだから」「もう一度言ってちょうだい!」というやりとりへの報復行為だった。

 この話はまだ終わらない。「猫のようにとびあがって席を立った」ホメイニー師にファラーチが容赦なく言葉の矢を放つ。「どこへ行くのよ、オシッコ行くの !? 」

 退去命令が出たあともファラーチは頑として動かず、「もう一度出てきてインタビューを完了すると約束すれば、わたしは退去する」と言ってのけたというから凄い。

 彼女自身、殺されるどころか死体すら見つからないと覚悟したのは、リビアでのカダフィ大佐インタビューの時だったという。インタビュー中に10分以上も「おれが福音だ!!」とわめくのをやめさせた直後の気まずい沈黙を想像するだけでも恐ろしい。それが事実上の国家元首であるカダフィのその後の態度変化に役立ったのかどうかは分からないが……。

 インタビュー中の深刻なトラブルはぼくの場合、2度しかないが、幸いにして生命の危機までは感じられなかった。

 こうした尋問に近いハードなインタビューが出来るのは、日本では旧知の猪瀬直樹をおいて他に見あたらない。しかしその種の才能は、日記と和歌があれば事足りる日本の文化風土にはそぐわない。悪の原理に対する弱さは日本神話に悪神が見あたらないことからもうかがい知れる。

 こんな考え方でやってきたから、雑誌の基本がヌードや著名作家の小説という風には思えない。スリリングなロング・インタビューをよく載せたな~、しかも写真、イラストも素晴らしいゾ! ──これこそが、ぼくにとっての雑誌の基本であり常識なのだった。いや、「なのだった」の過去形ではいけない。「雑誌創りに飽きたり行き詰まったりしたらインタビューに帰れ!」をこの先もモットーにしていくつもりだ。(この項続く)

初出:『Free & Easy』(イーストライツ)2007年6月号より

※「サヤマ・リマスタリング」は毎週水曜日・金曜日に掲載予定です。