サヤマ・リマスタリング

雑誌の明日(2/5)

萎縮する雑誌たちへ

 今年3月、ぼくは54歳になった(注:初出時)。トランプカードなら、ジョーカーまで入れて53枚。すべて使い切ってしまったここから先はオマケの人生なのかもしれないと誕生日に考えた。死への覚悟は生の痕跡のライフワークへと向かわせるし、今の今と将来もまた大切にしなくてはならない。だから現在・過去・未来のあれやこれやで、日々もう無闇に忙しい。

 わけても苦しいのが過去の総括である。過去を終わらせるためには、体験を反省して真の人間経験に至らせるしか方法がない。『雑誌的人間』を綴ることでその何割かをやり終えたつもりだが、リバウンドでカラダを壊しかけた。

 世の中の回顧ムードもあって、四半世紀も前になる雑誌編集長時代のことを聞かれる機会も少なくない。そんな中、古巣の『スタジオ・ボイス』の現役スタッフが現れ「'80年代カルチャー総括!」としてインタビューされた。創刊30周年記念とかで、続いてきたことが嬉しい。
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2007年 02月号 [雑誌]
 それにしても「問いかけの中にしか答えはない」とはよく言ったもので、ぼくの拙い自己表出よりも、質問のほうが数段価値のあるキラーパスだった。

 いくつか列記させていただこう。
(a)佐山さんが編集長を務められた'80年代前半の『スタジオ・ボイス』の表紙には、松田聖子や郷ひろみといった当時人気絶頂のアイドルが登場していますね。雑誌自体から強いメジャー感が感じられます。

(b)“マイ(ナー・メ)ジャー”精神だけではなく、「スノッブ」でもあった?

(c)「実験雑誌」という言い方もされていますね。

(d) 当時の『スタジオ・ボイス』はウォーホルの『Interview』誌と提携関係にあり、大判時代の表紙には「Interview Maper」。A4サイズになってからも『男騒ぎのする、唯一のインタヴュー雑誌』というコピーがあります。

(e)(「表紙ヴィジュアルでいちばん好きなのは、林真理子さんが表紙に登場した号。わざわざ青山の歯科医院で金冠をかぶさせてもらいましたから」というぼくの答えを受けて、)──よく引き受けてもらえましたね。

(f) 登竜門的な機能も果たしていた?

(g) 表紙のビジュアルはどのように創り出されていたのでしょうか?

(h) 佐山さんにとって『スタジオ・ボイス』時代を含め、'80年代はどんな時代でしたか?


 過去の雑誌創りを想うたびに感じるのが、いまだ大流行リの「サブカルチャー」という言葉への違和感である。どうにもいじけと開き直りが感じられて仕方がない。ご当人の意識とは裏腹、サブどころかメインに居ながらサブカルはないだろう! とヤジを飛ばしたくなる。

 賢明なる『Free & Easy』にしたって、自分たちをサブカルだなんてこと標榜しないからこその信頼がある訳で、そこにカウンターカルチャー(対抗文化)のフレーバーがかかっているところが魅力なのだと思う。

 しかしなぜこれほどまでに萎縮してしまったのか……。

『スタジオ・ボイス』の現役スタッフには、「なんか佐山さんの頃はメジャーな感じがします」といわれて虚を突かれたものだけれど、ボロは着てても心は錦。雑誌世界における新しい形のメジャーを模索する心意気だけはあったと今も思う。

 それより何より今ぼくが強く感じるのは、あの時代に世に出た人たちの一種異様とも言える息の長さだ。時代閉塞につながる新陳代謝の悪さの大半が雑誌編集の怠慢とつながっているのではないか。

 雑誌がしっかりしていれば社会の風通しはもっとよくなるはずだ。これは今も昔も変わらぬぼくの信念である。自閉している雑誌ばかりが増えて本当に厭になる。「もしかしたら、たった一人(冊)でもこのひどい世界を変えられるんじゃないか」。老いてもなお、そう心の片隅で夢を見続けられる男でありたい。(この項続く)

初出:『Free & Easy』(イーストライツ)2007年6月号より

※「サヤマ・リマスタリング」は毎週水曜日・金曜日に掲載予定です。