リーディング・ブックス ~書評再録(6)~

『大停滞』 

 雇用を生まないITが招く悲しい現実


大停滞


 いまの気分そのもののタイトル(『大停滞』)に惹かれて扉を開いてみた。吸い込まれるように目に入ったのは、第3章の『インターネットはなにを変えたのか?』である。

 よって、第1章『容易に収穫できる果実は食べつくされた』と第2章『経済の生産性は見かけほど向上していない』は、いきなり後回し。ネット体験に関する〈中間総括〉がいいかげんあって当然という気持ちがはたらいたからである。

 49歳の著者コーエンは、ツイッター、ブログ、Webサイト、イーベイのオンライン・オークション、動画投稿サイトのYouTubeなどを世界中の人たちと同じように1ドルも出費せずに楽しんでいると記す。

 そもそもタイラー・コーエンらの運営する経済ブログ「Marginal Revolution」からして無料で読むことができるものなのである。著者もいうように拝金・物質主義的発想からの脱却という積年の願望は、実現されつつある。ただし大きな痛みを伴いながら……。

 コーエンの非凡さは、雇用と収入を生み出す力の小ささに目を向けたことだ。今日的イノベーションの価値を大いに認めながらも、彼としては近年の〈主なインターネット関連企業の雇用数(従業員数)〉を引き合いに出さざるを得ない。

 グーグルの2万人、イーベイの1万6400人は一見ふさわしい数字に見えるが、私の調べでも東芝、ソニーなどの従業員数(連結)と比べると桁が一つ一少ない。その後、2千人に増えたとはいえ、フェイスブックの場合は1700人。ツイッターに至ってはわずか300人。音楽産業においては、デジタル音楽の普及で多くの雇用が失われたにもかかわらず、iPodがもたらした雇用は小売り部門と開発部門を含めてわずか1万3920人。雇用の純増分は微々たるものだと喝破する。

「近年のアメリカ経済でジョブレス・リカバリー」(雇用拡大をともなわない景気回復)」が起きている理由の一端は、ここにある」とインターネット普及後の果実の小ささとを重ね合わせる著者は、期待外れな結果はアメリカ一国にとどまらず世界の国々の政府債務危機にも表れていると記し説得力がある。

 第2章ではアメリカの急成長部門である政府支出・教育・医療の部門が再検討される。発表されたGDPなどの数値よりも生活実感として貧しい上に、生産性も進歩の度合も怪しいという指摘である。読み手の中の「内なるエコノミスト」の部分が生身の人間でもあるエコノミスト、コーエンによって刺激される。

 目からウロコの3章にほだされて私は本書を批判がましく読まずに済んだわけだが、エコノミストには本物の処方箋が求められている。収穫の果実が消滅しつつあるこの大停滞=「新しい現実」をニュー・ノーマルとして、理性と科学技術の重要性を理解することで対処しよう。さあ、難しい問題に向き合おう──が結語では合意できない読者も出てくるだろう。天気予報のタレントですらそこまでノーテンキではない。

 本書はいわば希望装いの悲観的経済書。「滅多に当たらない気象予報士」を彷彿とさせるエコノミスト諸氏にはない潤度の高さが魅力である。ただ、経済学の日常生活への応用に熱心になり過ぎると、自己啓発書につきものの悪臭がたちこめることにも。

「日銀デフレ」批判の論客として知られる経済学者若田部昌澄まさずみによる専門解説──〈「夢の未来」が失われた後の経済学〉が付き、冒頭にも絶賛書評の各紙(誌)ダイジェストを載せている。コンパクトな本づくりに一工夫があり、「物事が昔のようにうまく行かない」──と苦々しげにつぶやく人にとってのとりあえずの鎮痛剤にはなりそうだ。

Tyler Cowen=1965年、米国生まれ。米ジョージ・メイソン大学経済学部教授。2011年、英エコノミスト誌で「今後最も世界に影響を与える経済学者の一人」に選ばれた。
 
初出:『週刊朝日』(朝日新聞出版社)2011年12月30日号

※「リーディング・ブックス」は不定期掲載です。